|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 樅 : [もみ] (n) fir tree ・ 松 : [まつ] 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) ・ 型 : [かた] 【名詞】 1. mold 2. mould 3. model 4. style 5. shape 6. data type ・ 駆逐 : [くちく] 1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction ・ 駆逐艦 : [くちくかん] 【名詞】 1. destroyer ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship
樅(もみ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型(丁型)の9番艦である。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「樅型」1番艦)。 ==艦歴== 丁型一等駆逐艦第5489号艦として横須賀海軍工廠で建造され、横須賀鎮守府籍となる。竣工日は9月7日であるが、これは9月7日以前に予定されていた竣工引渡し日までに工事が終わらず、延期されたものである。 就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入。瀬戸内海に回航され訓練に従事する。10月25日には「梅」「桃」「榧」とともに、台湾への輸送作戦を行う空母「龍鳳」「海鷹」を護衛して佐世保を出撃し、10月27日に基隆に到着〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.5,31,41〕。輸送任務を終えた後は10月30日に基隆を出港して佐世保を経由し、11月2日に呉に帰投した〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.33,42,51,52〕。11月15日に「桑」「杉」「樫」「檜」とともに第五十二駆逐隊(岩上次一大佐・海兵60期)を編成〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.56〕。11月23日付で第五十二駆逐隊は第三十一戦隊(江戸兵太郎少将・海兵40期)に編入された〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.59〕。11月25日、昭南に向かうヒ83船団を「海鷹」、「檜」「榧」などとともに護衛して門司を出撃〔『第一海上護衛隊戦時日誌』pp.52 、駒宮, 297ページ〕。高雄到着後はヒ83船団と別れ、12月3日に高雄を出港して馬公経由で〔『第五艦隊戦時日誌』pp.21〕呉に帰投後、12月17日に「時雨」「檜」とともにマニラ方面への緊急輸送任務に就く空母「雲龍」を護衛して呉を出撃する〔『軍艦雲龍戦闘詳報』pp.3〕。しかし、2日後の12月19日に「雲龍」は東シナ海でアメリカ潜水艦レッドフィッシュ (''USS Redfish, SS-395'') の攻撃により沈没する。「檜」の爆雷攻撃でレッドフィッシュを追い払った〔木俣『敵潜水艦攻撃』269、270ページ〕後はそのまま南下して高雄に入港し、12月22日に出港して12月24日にマニラに到着〔『第三十一戦隊戦時日誌』pp.8,14〕。12月中は「檜」とともにマニラとサンジャック、カムラン湾との間で輸送任務に従事する〔『第三十一戦隊戦時日誌』pp.8,16,17〕。12月24日から12月30日までは第三十一戦隊旗艦を務め、鶴岡信道少将(海兵43期)の将旗を翻した〔『第三十一戦隊戦時日誌』pp.16,22〕。 12月31日、檜とともに特設給糧船「生田川丸」(元イタリア船カリテア、4,013トン)〔1943年9月9日のイタリアの無条件降伏の際、神戸港で自沈を図ろうとして阻止され日本側に拿捕される(『大阪警備府戦時日誌』pp.4)〕〔正岡, 84ページ〕を護衛してサンジャックを出港し、1945年(昭和20年)1月4日にマニラに到着〔『第三十一戦隊戦時日誌』pp.23,26〕。翌日には「生田川丸」を連れてマニラを出港〔木俣『日本水雷戦史』609ページ〕。しかし、この時ルソン島西岸部にはリンガエン湾を目指すアメリカ艦隊と輸送船団が、幾度かの神風特別攻撃隊の攻撃に遭いながらも北上中だった。これを見た南西方面艦隊司令長官大川内傳七中将(海兵37期)は、輸送船団への殴りこみ攻撃を命令する〔『第三十一戦隊戦時日誌』pp.27〕。「生田川丸」を逃した後、午後には掃海担当の第77.6部隊の背後に躍り出て第77.6部隊を驚かせた〔木俣『日本水雷戦史』610ページ〕。第77.6部隊を護衛していたオーストラリア海軍スループのワレーゴ (''HMAS Warrego, U73'') とガスコーニュ (''HMAS Gascoyne, K354'') 、助太刀に来たアメリカ駆逐艦 (''USS Bennion, DD-662'') と交戦するが、約一時間の交戦でさしたる戦果も被害もなかった〔『第三十一戦隊戦時日誌』pp.29,31 、木俣『日本水雷戦史』610、611ページ〕。避退後間もなく、第77任務部隊の護衛空母から発進した艦載機の攻撃が始まり、舵を損傷した後の19時10分に航空魚雷が命中して沈没した〔『第三十一戦隊戦時日誌』pp.29,31 、木俣『日本水雷戦史』611ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「樅 (松型駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|